IDソリューションの基礎と活用法
IDソリューションが注目される理由
近年、広告業界を取り巻く環境は大きく変化しています。特に注目されているのが、サードパーティCookie(3rd Party Cookie)への規制強化と、トラッキング技術全般への制限強化です。AppleのITP(Intelligent Tracking Prevention)や、GoogleによるChromeでのサードパーティCookie廃止に向けた取り組み(※代替技術への移行を進めつつ、完全廃止時期は調整中)などがその代表例です。
この流れの背景には、ユーザーのプライバシーに対する意識の高まりと、GDPR(EU一般データ保護規則)やCCPA(カリフォルニア州消費者プライバシー法)といった各国の法規制の整備があります。従来の広告テクノロジーの多くは、ユーザーから明確な同意を得ずにウェブサイトを横断して個人の行動履歴を追跡・蓄積し、それによって広告のパーソナライズを実現してきました。
しかし、このようなCookieを用いたターゲティング手法がユーザーのプライバシーを侵害するとの批判が高まり、プラットフォーマーと法制度の両面からトラッキングに対する制限が強化されてきました。AppleやGoogleといった主要プレイヤーは、それぞれの立場でこのプライバシー保護の流れに対応し、Web・アプリの両領域で段階的に制限を強めています。
これらの動向に共通するのは、「ユーザーのプライバシーを尊重し、本人が自身のデータの使われ方をコントロールできるようにすべきである」という考え方です。かつてはユーザー本人の明確な同意なく行われることもあったトラッキングが、現在では規制と技術の両面から厳しく制限されるようになっています。
こうしたCookie規制強化の潮流を受け、従来のCookieに依存したターゲティング広告や効果測定(アトリビューション)の精度は、大きく低下しつつあります。その代替となる技術の一つとして、Cookieに依存しない「IDソリューション」が注目されています。
本記事では、IDソリューションの基礎知識から主要なIDの種類、導入による効果、そして残されている課題について解説します。
IDソリューションとは?
IDソリューションとは、Cookieに代わってユーザーを識別するための技術的アプローチです。広告やマーケティングにおいて、誰にどの広告を届けたか、どのユーザーがコンバージョンに至ったかなどを把握するために用いられます。
Cookieの利用が段階的に制限される中、広告主や媒体社は代替手段としてIDソリューションに注目しています。具体的には、以下のような識別方法に分類されます。
確定ID

ユーザーがログイン時に提供する情報(メールアドレスや電話番号など)をベースにしたID。個人単位での精度が高く、広告のパーソナライズやクロスデバイス計測にも有効です。
- 例:Unified ID 2.0(The Trade Desk)、RampID(LiveRamp)、ID5 ID(ID5)など
推定ID

デバイス情報、IPアドレス、ブラウザ指紋などから統計的手法を使ってユーザーを識別します。ログイン不要で広範なユーザーをカバーできるメリットがある一方、精度は確定IDに比べて低くなる傾向があります。
- 例:ID5 ID(ID5)、Panorama ID(Lotame)、IM Universal Identifier(インティメート・マージャー)など
IDソリューションの期待される効果
IDソリューションを活用することで、媒体社や広告主は以下のような主要な効果を期待できます。
- ターゲティングの再構築
Cookieが廃止されても、IDベースの識別によって、ユーザーの属性や過去の行動履歴をもとにした広告配信が可能になります。特に確定IDを活用すれば、個人単位での精度の高いパーソナライズ配信が実現できます。 - アトリビューション精度の向上
複数チャネルやデバイスを横断したユーザー行動を紐付けることで、広告の接触からコンバージョンまでの経路を正確に追跡可能になります。これにより媒体の貢献度が適切に評価され、広告予算配分の精度も向上します。 - フリークエンシーコントロール
同一ユーザーを特定できることで、広告の配信回数を適切に制御でき、過剰露出によるユーザー離脱や広告効果の減衰を防ぐことができます。特に高価な広告枠の無駄な配信を抑えられるため、媒体側にもメリットが大きいです。 - パーソナライズされたユーザー体験
IDを起点に、Webサイトやアプリ上のコンテンツレコメンド、メール配信最適化、UX全体のカスタマイズが可能になります。これにより、ユーザーのエンゲージメントやLTVの向上にもつながります。 - メディアの広告在庫価値向上
識別可能なユーザーが多いほど、DSPや広告主からの評価が高まり、CPM単価やフィルレートの改善につながります。媒体社はID精度を武器に、差別化されたプレミアムな広告商品を提供できるようになります。 - 広告計測の精度向上
IDを用いた広告配信では、インプレッションやクリックだけでなく、広告接触後の行動(例:サイト滞在、購入、アプリ利用など)を正確に計測できるようになります。これにより、広告キャンペーンのROI分析やABテストの精度が高まり、マーケティング施策全体の改善スピードが加速します。また、IDベースの計測は、サードパーティCookie非対応環境でも持続可能な測定基盤となります。
メジャーなIDソリューション一覧
ここでは、現在広告・メディア業界で注目されている主要なIDソリューションを、それぞれの特徴を紹介します。
以下では媒体社がIDの導入を考える際に、比較検討されることが多い傾向にあるIDです。
ソリューション名 | 提供元 | タイプ | 特徴 |
---|---|---|---|
Unified ID 2.0 | The Trade Desk | 確定 | メールアドレスをベースに暗号化処理を行い、プライバシーに配慮しながらオープンに利用可能。SSPやDSPとの連携が進んでおり、透明性と標準化を重視した設計。 |
RampID | LiveRamp | 確定 | オフラインの購買データや顧客情報と連携可能なID。複数のデバイスや環境をまたいだ識別に対応しており、広告主と媒体社の間でのデータ統合が可能。 |
ID5 ID | ID5 | 確定/推定 | 欧州を中心に普及。ログイン情報が取得できる場合は確定IDの役割で、できない場合は推定IDの役割となるハイブリッド型。GDPR準拠を重視し、SSPやCMPとの連携が進んでいる。 |
IM Universal Identifier(IM-UID) | インティメート・マージャー | 推定 | 日本国内特化。サードパーティCookie非依存で、ファーストパーティデータを活用したID。CMP(カスタマーデータプラットフォーム)連携・法令順守を重視。広告配信・効果測定に強み。 |
Panorama ID | Lotame | 確定/推定 | サードパーティCookieなしでもユーザーを統計的に識別可能。Lotameのデータマネジメント技術と併用することで、高いターゲティング精度を持つ。 |
IDソリューションの課題と懸念点
IDソリューションはCookieに代わる識別手段として注目されていますが、その導入・運用にあたっては、以下のような課題や懸念点も存在します。
- IDソリューション浸透率
IDソリューションは業界全体で注目されていますが、広告主・媒体社の双方において、まだ活用が十分に進んでいないのが現状です。媒体社がIDソリューションを導入しても、広告主側の活用が進まなければ、媒体社は導入効果を十分に得ることができません。広告主側の活用が進まない要因としては、ID導入・運用のコスト負担に加え、サードパーティCookie廃止への対応が途上であり、新しい技術への完全移行に至っていない現状などが挙げられます。 - ログイン依存のカバレッジ課題
確定IDは精度が高いというメリットがある一方、ログインユーザーが少ないサイトではカバーできるユーザー範囲が狭くなり、リーチ不足に陥る懸念があります。さらに、ニュースサイトなど、もともとログインを前提としないサービス設計のサイトも多く存在します。このようなサイトにとっては、確定IDを導入・活用すること自体のハードルが高いという課題もあります。 - 識別精度のばらつきと重複管理の難しさ
複数のIDソリューションが併存する環境では、同一ユーザーが異なるIDで識別される重複が発生しやすく、ターゲティング精度やフリークエンシー管理の正確性が損なわれる可能性があります。 - 技術的・運用的ハードル
導入にはPrebidなどと連携、プライバシー対応設計、広告事業者との接続確認など、媒体側には導入時の相応の技術的・運用的負荷がかかります。 - プライバシー法対応とユーザー同意取得
各国の法規制(GDPR、CCPA等)に準拠するためには、ユーザーの明確な同意やオプトアウト対応などが必要不可欠です。 - IDの断片化と業界全体の標準化不足
多数のIDが乱立し、広告主・DSP・媒体社での整合が難しくなっている現状では、運用効率やマネタイズの最適化が妨げられる懸念があります。 - ユーザー体験への影響
ログイン誘導や同意取得のためのポップアップ表示などが、ユーザー体験を損ない、サイトからの離脱につながるリスクもあります。
メディアがIDソリューションをより効果的に活用するために
IDソリューションの効果を最大限に引き出すには、単に導入するだけでなく、自社のデータ資産や技術基盤、ユーザーとの関係性を踏まえた戦略的な活用が不可欠です。
以下では媒体社がよりIDソリューションを効果的に活用できる施策例を紹介します。
ログイン率向上施策
ユーザー識別の精度を高めるうえで、ログインIDのカバレッジを増やすことは非常に重要です。ログイン率を向上させるためには、以下のような施策が有効です。
- ログインの利便性向上:SNSログイン(Google、Apple、Xなど)といったSSO(シングルサインオン)を導入することで、ユーザーの手間を軽減する。
- 会員限定コンテンツの充実:ログインしないと読めない特集記事、レポート、コミュニティ投稿などを設ける。
- ポイント・インセンティブ制度の導入:コメント、閲覧、アンケート回答などに対してポイントなどユーザーがメリットに感じるものを付与し、会員登録のモチベーションを高める。
- ログイン状態の維持:ログアウトの頻度を下げる技術設計や、定期ログインを促すリマインダー施策などで定着率を上げる。
- 初回登録・ログイン導線の最適化:ポップアップや記事中の自然なタイミングでの会員登録誘導を設計。
これらの取り組みによって、媒体社はログインユーザー比率を増やし、IDソリューションと連携可能なユーザー規模を拡大できます。
ファーストパーティデータ戦略の強化
自社で取得可能なデータ(会員情報、閲覧履歴、アンケート情報など)を活用すれば、他社に依存しないマーケティングや広告配信が可能となり、広告精度の向上、ユーザーとの関係深化、そしてLTV向上につながります。
さらに、ファーストパーティデータを活用して作成したセグメントを、外部のDSPやIDソリューションと連携することで、広告価値をより一層高めることも可能です。
IDソリューションとの接続基盤整備
IDを活用するには、データ統合と連携のための基盤整備が必要です。たとえば、CDP(カスタマーデータプラットフォーム)と連携することで、複数のソースから取得したIDや属性情報を統合管理し、ターゲティングや分析に活用できます。
また、SSPやDSPと接続する際には、どのIDソリューションをサポートしているか、どう同期するかといった技術設計も重要になります。こうした接続基盤は、一度整備すれば中長期的に柔軟な運用が可能になります。
コンテキストターゲティングの再評価
ユーザーの行動履歴や個人情報に依存せず、コンテンツの文脈に基づいて広告を出し分ける「コンテキストターゲティング」は、再び注目されています。特に、ニュースサイトや専門メディアでは、記事カテゴリやキーワード、感情分析などを活用して、広告とコンテンツの関連性を高めることが可能です。
これはプライバシーリスクが低く、ユーザーの拒否反応も起きにくいため、長期的に安定した広告手法として有効です。
ユーザーとの信頼関係構築
IDを含む個人データの活用には、ユーザーの信頼が不可欠です。そのためには、次のようなポイントが重要です。
- データ収集の目的と活用方法を明確に伝える
- オプトイン・オプトアウトを分かりやすく設計する
- プライバシーポリシーや利用規約をユーザーが理解できる言葉で表記する
ユーザーが「このサイトなら安心」と思えることが、結果的にデータ提供と広告効果の両方を後押しします。
まとめ

Cookielessになる中、広告におけるユーザー識別の在り方も大きく変わりつつあります。その中でIDソリューションは、Cookieの代替にとどまらず、より高度で柔軟なユーザー識別の手段として進化を続けています。
確定IDはユーザーごとの正確な識別を可能にし、推定IDは非ログインユーザーを含めた幅広い利用者に対応できる柔軟性があります。複数のソリューションを戦略的に組み合わせることで、Cookie以上の精度や持続性を実現することも可能です。
特に媒体社にとっては、ファーストパーティデータを軸にIDを組み合わせ、広告の効果最大化とユーザー体験の両立を目指すことで、広告収益の新たな可能性が開けてきます。
IDソリューションはCookieの代替手段にとどまらず、メディアの広告戦略を進化させる可能性を秘めた技術です。
プライバシー規制の進展により、従来のCookieベースの広告手法は大きな転換点を迎えています。IDソリューションはその代替として強く期待されており、媒体社の広告収益を守るための技術の一つになりつつあります。
しかし同時に、まだまだ発展途上で効果面や導入・運用のハードル、ユーザー体験とのバランスといった課題も多く、ID活用の成否は、それを「どう組み合わせ、どう使いこなすか」にかかっています。
このような状況を踏まえると、IDソリューションが直ちに大きな収益増に繋がるとは限りません。しかし、その重要性がさらに高まり、効果が明確になってから準備を始めては、本来得られるはずだった収益機会を逃すことにもなりかねません。
したがって、媒体社としては、早期に本格的な導入・実装を進めることが理想的です。それが難しい場合でも、情報収集やベンダー選定、プライバシーポリシーの整備、関連部署との連携体制構築など、導入に向けた準備を今のうちから進め、いつでも迅速に対応できる状態にしておくことが強く推奨されます。